酒屋はなぜコンビニに変わったのか│酒販免許の距離制限と規制緩和の歴史

ビールケースを積んだ店先、配達用の自転車やバイク、軒先の自動販売機、かつて町の角には必ずと言っていいほど酒屋がありました。ところが今、お酒を買う場所として真っ先に思い浮かぶのは、コンビニやスーパー、ドラッグストアです。気づけば、昔ながらの酒屋の看板は、コンビニの看板に掛け替わっていたり、シャッターを下ろしたままになっていたりします。
この変化の背景には、お酒を売るために必要な「酒類販売業免許」をめぐる、長い規制の歴史があります。お酒は、昔から誰でも自由に売れる商品ではありませんでした。しかも、かつての酒販免許には、近くに酒屋がある場所では新しい免許が出ない「距離基準」や、地域の人口に応じて酒屋の数を制限する「人口基準」といった、厳しい参入規制が設けられていたのです。
言い換えれば、町の酒屋は、法律によって新たな競争相手から守られた商売でした。その守りが規制緩和によって取り払われたとき、酒屋の世界は大きく様変わりします。そして、規制緩和よりずっと前から、免許を持つ酒屋がコンビニへと姿を変えていったのにも、この免許制度が深く関わっていました。そして、同じような距離制限は、町の薬局やたばこ屋にも設けられていましたが、その行方は、酒屋とはまったく違うものでした。
本稿では、酒販免許の誕生から、距離基準・人口基準による参入規制、酒屋がコンビニに転換していった経緯、2000年代の規制緩和と町の酒屋の苦境、そして現在の酒販免許の姿まで、酒類販売業免許を数多く取り扱う行政書士が、その歴史をひもといていきます。
目 次
酒屋は「免許」に守られていた
お酒を売る商売が免許制になったのは、昭和13年(1938年)4月、日中戦争が始まった翌年で、国が戦費を確保するために税収を重視していた時代でした。その後、昭和28年(1953年)に現在の酒税法が制定され、酒類の販売業には、販売場ごとに税務署長の免許を受けることが求められるようになりました。
お酒には特に高い税率の酒税がかけられており、酒税は国の財政にとって重要な税収です。酒税は酒類を製造する者が納めますが、その税金は、お酒の値段に含まれて流通の過程で回収されていきます。そのため政府は、酒税を確実に回収するには、酒類の流通を担う販売業者の経営が安定していることが必要だとして、販売業にも免許制度を採用してきたのです。
もっとも、免許制度の目的は酒税の確保だけではありません。業者の乱立を防いで酒税を確実に徴収すること、未成年者の飲酒防止といった社会的な管理を行うこと、お酒の品質を保つことなども、免許制度の理由として挙げられてきました。お酒は、税金の面でも社会の面でも、特別な扱いを受ける商品だったのです。
こうして免許制度のもとに置かれた酒屋は、免許を持っていること自体が、大きな価値を持つようになります。後に見るように、新しく免許を受けることが難しかった時代には、酒の販売免許は、まさに「既得権」と呼ぶにふさわしいものでした。
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距離基準と人口基準
酒販免許が既得権となった最大の理由が、「需給調整要件」と呼ばれる参入規制です。酒税法は、酒税を守るために酒類の需給のバランスを保つ必要がある場合には、免許を与えないことができると定めています。これを受けて、国税庁の通達によって、新たな酒屋の開業を制限する「距離基準」と「人口基準」という具体的な基準が設けられていました
新たに酒屋を開こうとする場所が、すでにある酒屋から一定の距離、具体的には100mから150m程度以上離れていなければ、免許を受けることができてないというのが「距離基準」であり、地域ごとに、人口に対して何軒までの酒屋を認めるかという枠を設け、その枠を超える場合には新たな免許を出さないというものが「人口基準」でした。そのため、すぐ近くに酒屋がある場所や、すでに枠が埋まっている地域では、新規の参入はほぼ閉ざされていました。
こうした参入規制のもとでは、スーパーマーケットやディスカウントストアが新たにお酒を扱おうとしても、免許を受けることは容易ではありませんでした。需給調整による参入規制は、ともすれば既存の業界の安定を守る方向に使われ、新しい事業者を締め出す結果になりやすいと指摘されています。町の酒屋は、法律によって競争から守られていた一方で、消費者の側から見れば、お酒を買える場所が限られる不便さもあったのです。
酒屋がコンビニに変わり始めた
町の酒屋がコンビニに姿を変えていく流れは、実は規制緩和よりずっと前の1970年代に始まっています。日本で本格的なコンビニエンスストアの時代を開いたとされる大手チェーンの国内1号店は、1974年(昭和49年)5月、東京の江東区に開店しました。この1号店は、本部が計画的に立地を選んだ店ではなく、酒屋を継いだ2代目の店主が、酒屋の将来性に疑問を感じて、自らフランチャイズへの加盟を申し出たことで生まれた店でした。
広さ約20坪という小さな酒屋を改装したこの店は、工場地帯という決して有利とはいえない立地でありながら、大きな売上を記録します。そして、酒類販売の免許を持つ既存の小売店をフランチャイズとしてコンビニに転換するという形は、その後のコンビニの加盟モデルの原型となりました。
酒屋がコンビニへの転換に向いていたのには、はっきりとした理由がありました。新規の免許を受けることが難しかった時代、お酒を売れるかどうかは、コンビニの売上を大きく左右します。すでに酒販免許を持っている酒屋をコンビニに転換すれば、その免許を活かして、最初からお酒を品ぞろえに加えることができました。酒屋の側にとっても、コンビニへの転換は、ビールや日本酒の配達に頼る商売から抜け出し、新しい客層を取り込む道となったのです。
こうして、1970年代から1980年代にかけて、全国の町の酒屋が次々とコンビニへと姿を変えていきました。町角の酒屋がいつの間にかコンビニになっていたという記憶を持つ人が多いのは、偶然ではありません。酒販免許という既得権こそが、酒屋とコンビニを結びつけていたのです。
規制緩和の波
こうした酒販免許の参入規制に大きな転機が訪れたのは1990年代のことです。平成元年(1989年)には、免許の区分として「一般酒類小売業免許」と「通信販売酒類小売業免許」が設けられるなど、制度の見直しが少しずつ始まっていました。そして、政府全体で規制緩和が進められる中、平成7年(1995年)3月の規制緩和推進計画で、酒類小売の免許基準を緩和の方向で見直すことが閣議決定されます。
その後、行政改革委員会などで、需給調整要件の廃止を含めた検討が求められ、国税庁は、平成10年(1998年)3月に通達を出して、距離基準と人口基準を段階的に廃止する方針を打ち出しました。当初の計画では、距離基準は平成12年(2000年)9月に廃止される予定でしたが、最終的には平成13年(2001年)1月に距離基準が廃止され、人口基準も段階的な緩和を経て、平成15年(2003年)9月1日をもって廃止されました。
距離基準の廃止によって、スーパーやコンビニ、ディスカウントストアに続き、ドラッグストアなど新たな業態からの参入も相次ぐようになります。そして人口基準の廃止によって、一般酒類小売業免許は、人的要件や経営の基礎などの要件を満たせば、原則として誰でも受けられる、事実上自由化された免許となったのです。
この規制緩和を後押ししたのは、消費者の利便性を重視する声でした。経済界からは、需給調整は消費者の利便性を損なうものであり、車で買い物に出かけることが当たり前になった時代に、税務署の管轄区域ごとに酒屋の数を調整することは、もはや意味を失っているといった指摘もなされていました。
緊急措置法と町の酒屋の苦境
規制緩和は、消費者にとってはお酒を買える場所が増えるという恩恵をもたらしましたが、町の酒屋にとっては、厳しい競争の始まりでした。大量に仕入れて安く売るスーパーやディスカウントストア、24時間営業のコンビニ、日用品のついでに買えるドラッグストアと競い合う中で、規模の小さな酒屋は価格でも利便性でも太刀打ちすることが難しく、廃業や転業を選ぶ店が相次いでいきます。
こうした状況を受けて、人口基準の廃止を目前にした平成15年(2003年)4月、「酒類小売業者の経営の改善等に関する緊急措置法」が成立しました。この法律は、規制緩和の進展によって多数の酒類小売業者が経営の維持に苦しんでいるとして、酒屋の経営改善や転廃業を円滑に進めるための緊急の措置を定めたものです。
その中心となった「緊急調整地域」の制度において、税務署長は、お酒の供給能力が需要に対して著しく過剰で、経営の継続が難しい酒屋の割合が高く、地域の酒屋の過半数から経営改善計画が提出されている地域を、緊急調整地域に指定できることとされました。指定された地域では、1年間、新たな酒類小売業免許の付与が原則として認められなくなります。同年8月には、全国の3割近い922の地域が緊急調整地域に指定され、大阪府内でも39の地域が指定されました。
もっとも、緊急調整地域の制度は、あくまで規制緩和を円滑に進めるための一時的な措置にすぎず、2006年までに廃止されています。新規参入を一時的に凍結しても、消費者の買い物の流れそのものを変えることはできず、町の酒屋の数は、その後も減り続けていきました。
お酒はどこで売られているのか
規制緩和から20年余りが経った今、お酒の売り場の姿は大きく変わりました。国税庁の「酒類小売業者の概況」によれば、令和6年度の業態別の販売場数は、コンビニエンスストアが約5万5,000場で全体の35.9%を占め、昔ながらの一般酒販店は約2万8,000場、18.6%にとどまっています。スーパーマーケットが約2万1,000場、ホームセンター・ドラッグストアが約1万9,000場と、かつては酒屋が担っていたお酒の販売を、さまざまな業態が分け合っているのです。
販売される量で見ると、その差はさらに鮮明になります。令和6年度の業態別の小売数量では、スーパーマーケットが36.7%と最も多く、ホームセンター・ドラッグストアが14.1%、コンビニエンスストアが12.2%、ディスカウントストアなどの量販店が11.1%と続き、一般酒販店は10.6%にすぎません。お酒の販売の中心は、町の酒屋から、大量に仕入れて安く売る大型店へと、すっかり移っています。
それでも、地元の蔵元の日本酒や、こだわりのワイン、クラフトビールなど、専門知識を活かした品ぞろえで勝負する酒屋や、飲食店への業務用の卸売を中心に生き残る酒屋もあります。大型店にはまねのできない専門性や、顔の見える接客が、これからの酒屋の武器となっているのです。
そして、お酒の販売の形はさらに多様化しています。インターネットの通信販売や、フリマアプリでの個人間の取引、輸入酒の販売など、お酒を売る方法は、酒屋とコンビニの時代とは比べものにならないほど広がりました。そのぶん、どの免許でどこまでの販売ができるのかを正しく理解しておくことが、これまで以上に重要になっています。
薬局とたばこ屋の距離制限は
既存の店から一定の距離がなければ新しい店を開けないという規制は、酒屋だけのものではありませんでした。町の薬局やたばこ屋も、かつては同じような距離制限のもとに置かれていました。ところが、同じ距離制限でありながら、酒屋、薬局、たばこ屋がたどった道は、それぞれまったく異なっています。
薬局の距離制限は、規制緩和を待たずに、裁判によって姿を消しました。かつての薬事法は、薬局の配置が適正を欠く場合には開設の許可を与えないと定め、具体的な配置の基準を都道府県の条例に委ねていました。広島県の条例は、既存の薬局からおおむね100mの距離制限を設けており、この規定によって開設を認められなかった事業者が、職業選択の自由を定めた憲法第22条に違反するとして裁判を起こしたのです。昭和50年(1975年)4月30日、最高裁判所大法廷は、薬局の距離制限は憲法に違反し無効であるという判決を言い渡しました。日本国憲法のもとで最高裁が法令を違憲とした、史上2例目の判決です。
最高裁は、不良な医薬品の供給を防ぐという目的のために、薬局を許可制とすることそのものは認めました。しかし、薬局の乱立が過当競争を招いて不良医薬品が出回るという理屈には合理的な裏付けがなく、距離制限という厳しい手段まで正当化することはできないと判断したのです。この判決からわずか2か月半ほど後の1975年7月には薬事法が改正され、薬局の距離制限の規定は削除されました。その後、ドラッグストアが全国に広がっていった背景には、この判決があるともいわれています。もっとも、近年では都市部での薬局の乱立が問題視され、2026年には財務省が、薬局の総量をコントロールする規制の導入を検討すべきと提言するなど、議論は再び動き始めています。
これに対して、たばこ屋の距離基準は、今も生き続けています。たばこを売るには、たばこ事業法に基づく財務大臣の許可が必要で、許可を申請する店と最寄りの既存のたばこ販売店との距離が、店の所在地の環境に応じて25mから300mまでの範囲で定められた距離に達しない場合には、許可が受けられないことがあります。この距離基準は平成10年(1998年)7月に緩和されたものの、20歳未満の者の喫煙防止や不正取引の防止の観点から一定の役割を果たしているとして、現在も維持されているのです。
同じ距離制限でありながら、酒屋は規制緩和で、薬局は憲法判断で撤廃され、たばこ屋だけが今も残る。お酒もたばこも、高い税金がかけられ、未成年者の利用が禁じられている点では共通していますが、どの規制を残し、どの規制を手放すかは、時代ごとの政策判断によって分かれてきました。町角の酒屋とたばこ屋の運命を分けたのは、商品の違いではなく、それぞれの規制がたどった歴史の違いだったのです。
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規制緩和で変わらなかったもの
もっとも、規制緩和によって酒販免許がなくなったわけではありません。距離基準と人口基準が廃止されたのは、店舗で消費者などにお酒を売るための「一般酒類小売業免許」についてであり、お酒を販売するには、今も販売場ごとに税務署長の免許を受けることが必要です。申請者が過去に酒税法違反などで処分を受けていないか、経営の基礎がしっかりしているか、販売場が適切な場所にあるかといった要件は、今も厳しく審査されています。
また、すべての免許で需給調整がなくなったわけでもありません。酒類卸売業免許の一部では、地域ごとに免許を出せる件数が今も定められており、通信販売酒類小売業免許でも、販売できるお酒の範囲に一定の制限が残っています。規制緩和は、あくまで店舗での小売について、新規参入の扉を開いたものなのです。
さらに、規制緩和と入れ替わるように強化されてきたのが、未成年者の飲酒防止をはじめとする社会的な規制です。お酒を売る事業者には、20歳未満の者の飲酒防止に関する表示を行うことや、販売場ごとに研修を受けた酒類販売管理者を選任することなどが求められ、平成28年(2016年)の改正では、酒類販売管理研修の受講状況などを記載した標識を販売場に掲示することも義務づけられました。誰でも参入できるようになった分、お酒を売る者としての責任は、むしろ重くなっているといえるでしょう。
酒屋の歴史を振り返ると、酒販免許は、酒税を守るための制度であると同時に、町の酒屋の暮らしを守る制度でもありました。その守りがなくなった今、酒屋とコンビニとスーパーが、同じ土俵でお酒を売っています。町角の酒屋がコンビニに変わっていった風景の裏には、80年以上にわたる、酒販免許をめぐる攻防の歴史が刻まれているのです。
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酒類販売業免許申請サポート
規制緩和によって、一般酒類小売業免許は原則として誰でも受けられるようになりましたが、だからといって申請が簡単になったわけではありません。申請書のほかに、販売場の図面や事業計画、収支の見込み、申請者の経歴、納税に関する証明書など、多くの書類をそろえることになり、販売場の使用権限や、他の営業との区分けなど、確認すべき点も数多くあります。
また、店頭での小売なのか、インターネットでの通信販売なのか、飲食店への卸売なのかによって、受けるべき免許の種類が変わってきます。コンビニや小売店の開業とあわせてお酒を扱いたい場合、ネットショップでお酒を売りたい場合、輸入したワインを販売したい場合など、事業の形によって最適な免許の組み合わせは異なります。
弊所では、一般酒類小売業免許や通信販売酒類小売業免許をはじめ、各種の酒類販売業免許の申請を数多く取り扱っており、事業の内容に合わせて、必要な免許の判断から申請書類の作成、税務署との調整まで一貫してサポートしています。お酒の販売を始めたいとお考えの際は、どの免許が必要か分からないという段階からでも、どうぞお気軽にご相談ください。


