麻雀はなぜ風営法の規制対象なのか?囲碁・将棋との違いを歴史から解説

昭和レトロな雀荘

麻雀も囲碁も将棋も、テーブルを囲んで頭をひねる大人の頭脳ゲームという点では、よく似た仲間に見えます。ところが法律の世界では、この三つの扱いは長らく天と地ほども違っていて、雀荘を開くには公安委員会の許可が必要とされ、18歳未満は客として入れず、深夜0時を過ぎれば店を閉めることが求められてきた一方で、碁会所や将棋道場は誰でも自由に開くことができ、小学生が放課後に通うことさえ珍しくありませんでした。2026年になってようやく、一定の条件を満たす麻雀教室であれば子どもも通えるようになりましたが、街の雀荘が今も法律の監視下に置かれていることに変わりはありません。

結論からズバッと言ってしまえば、その違いを生んでいるのは「運の要素」と「点数のやり取り」、そして何より、麻雀という遊びが日本でたどってきた歴史そのものです。配られる牌やツモる牌に運が大きく左右し、しかも点棒という形で勝ち負けがきっちり数字になる麻雀は、法律の目から見ると「お金を賭けたくなる遊び」の典型であり、実際に日本の麻雀の歴史は、そのまま賭け麻雀と警察とのいたちごっこの歴史でもありました。

これに対して囲碁と将棋は、偶然が入り込む余地のない純粋な実力勝負であるうえ、江戸時代には幕府から俸禄をもらう家元が置かれていたほどの、いわば国家公認の「芸」として育ってきました。同じ盤上の遊びでありながら、一方は将軍家のお墨付きを背負い、もう一方は大正時代に海を渡ってきた新参者として警察ににらまれ続けてきたわけで、その出自の違いが、現代の法律の扱いにまでくっきりと影を落としているのです。

本稿では、麻雀がなぜ風営法の規制対象とされているのかを、法律の考え方と、明治末期の伝来から戦後の雀荘ブーム、検事長の辞職騒動、そして2026年に子どもたちへ開かれた麻雀教室に至るまでの歴史の流れとともにひもときながら、囲碁や将棋との決定的な違いを、できるだけ分かりやすく解説していきたいと思います。

法律が見ているのは「射幸心」

風営法は、風俗営業の一つとして「まあじゃん屋、ぱちんこ屋その他設備を設けて客に射幸心をそそるおそれのある遊技をさせる営業」を挙げており、雀荘はパチンコ店と並んで、法律の条文にわざわざ名指しで書き込まれています。ひらがなで「まあじゃん屋」と書かれているあたりに、この条文が戦後間もない時代に生まれたことの名残が感じられて、なかなか味わい深いものがあります。

鍵となるのが「射幸心」という聞き慣れない言葉ですが、これは偶然の幸運によって思いがけない利益を得たいと願う気持ちのことであり、もっと平たくいえば「一発当てたい」「次こそ取り返したい」という、人間なら誰しも心の奥に抱えているあの気持ちのことです。法律は、この気持ちを過度にあおる遊びを提供するお店には、一定のルールのもとで営業してもらう必要があると考えているのです。

麻雀が射幸心をそそるとされる理由の一つは、配牌やツモといった運の要素が勝敗を大きく左右するという点です。どれほどの名手でも、配牌に恵まれなければ初心者に負けることがあるという偶然性は、「今度こそ」という気持ちを生み出します。もう一つは、点棒という形で勝ち負けがきっちりと数字になる点であり、この数字は、ほんの少し気持ちが緩めば、いとも簡単にお金に置き換えられてしまいます。

つまり麻雀は、運によって勝ち負けが揺れ動くうえに、その結果が最初から点数という「通貨」の形をしているという、賭け事と非常に相性のよい構造をもった遊びなのです。法律が雀荘を規制しているのは、麻雀そのものを悪い遊びとみなしているからではなく、この構造がある以上、不特定多数の客が集まる場所では賭博に流れやすいという、極めて現実的な判断によるものだといえます。

囲碁将棋はなぜ規制されないのか

同じ頭脳ゲームである囲碁や将棋が、風営法の対象とならない最大の理由は、囲碁と将棋がいずれも、ゲームに運が入り込む余地のない「完全情報ゲーム」だという点にあります。盤上のすべての情報が両者に見えていて、サイコロも配られる札もなく、勝ち負けはひとえに読みの深さと実力の差だけで決まるため、偶然の幸運で大逆転を夢見るという射幸心の入り込む隙間が、構造的にほとんどないのです。

また、囲碁や将棋には、麻雀の点棒のように勝ち負けの大きさを数字で細かくやり取りする仕組みがありません。勝つか負けるかの二択であり、その勝ち方の大きさがお金の多寡に直結しにくいことも、賭け事と結びつきにくい理由の一つといえます。もちろん、だからといって賭け碁や賭け将棋が存在しなかったわけではなく、かつては「真剣師」と呼ばれる賭け将棋で生計を立てる勝負師たちもいましたが、それはあくまでも一部の世界の話であり、ゲームの構造そのものが賭けを誘うわけではありません。

さらに見逃せないのが、囲碁と将棋が日本でたどってきた歴史の重みです。江戸時代、囲碁には本因坊家をはじめとする家元が、将棋には大橋家などの家元が置かれ、彼らは幕府から俸禄を受けて、将軍の前で対局を披露する「御城碁」「御城将棋」という晴れ舞台まで用意されていました。囲碁と将棋は、遊びである以前に、国家が庇護する由緒正しい「芸道」として何百年もの時間をかけて育てられてきたのです。

その結果、碁会所や将棋道場は、現代でも子どもからお年寄りまでが集う健全な学びの場として受け止められており、法律がそこに目を光らせる必要があるとは、誰も考えていません。同じ盤を囲む遊びでありながら、片や将軍家のお墨付き、片や警察の監視という、この両極端な扱いの差を理解するには、麻雀が日本にやってきてからの歴史を見ていく必要があります。

海を渡ってきた新参者

麻雀が生まれたのは、19世紀半ばの清朝時代の中国だとされています。日本に伝わったのは明治時代の末期のことで、中国から帰国した人々が持ち帰ったのが始まりといわれていますが、本格的に広まったのは大正の終わりから昭和の初めにかけてのことでした。モダンな都会の文化人たちの間で、異国情緒あふれる新しい遊びとして、麻雀は瞬く間に流行していきます。

このブームの立役者として知られるのが、文藝春秋の創業者であり、作家としても名高い菊池寛です。大の麻雀好きだった菊池寛は、1929年(昭和4年)に日本麻雀連盟の設立に関わり、その初代総裁に就任するなど、麻雀を知的で上品な社交の遊びとして世に広めようと力を尽くしました。当時の東京には次々と麻雀倶楽部が生まれ、作家や芸術家たちが卓を囲む光景は、昭和モダンを象徴する一つの風景となっていきました。

しかし、ブームの広がりとともに、麻雀は早くも賭け事と結びついていきます。人が集まる麻雀倶楽部で金銭を賭けた勝負が横行するようになると、警察は賭博の温床として麻雀に厳しい目を向けるようになり、さらに戦時色が強まると、娯楽そのものへの締め付けの中で、麻雀は表舞台から姿を消していきました。囲碁や将棋が何百年もの時間をかけて芸道としての地位を築いてきたのに対し、麻雀は日本に根づいて間もなく、賭博のイメージを背負わされてしまったのです。

この出自の違いは決定的でした。由緒正しい家元制度に守られてきた囲碁や将棋とは違い、麻雀には自らの品位を守ってくれる権威も伝統もなく、警察から見れば、いつ賭博に転じるか分からない危なっかしい舶来の遊びでしかありませんでした。菊池寛が夢見た「上品な社交の遊び」としての麻雀は、戦争と賭博のイメージの前に、いったんは挫折を余儀なくされたといえるでしょう。

戦後の焼け跡と雀荘の大繁盛

戦争が終わると、麻雀は焼け跡の中から猛烈な勢いで復活します。娯楽に飢えていた人々にとって、牌と卓さえあればどこでも楽しめる麻雀は格好の遊びであり、街のあちこちに雀荘が生まれ、復員兵やサラリーマン、学生たちが夜な夜な卓を囲むようになりました。そしてもちろん、その多くの卓では、当たり前のように金銭が賭けられていたのです。

こうした状況を受けて、1948年(昭和23年)に制定された風俗営業取締法は、待合やキャバレー、ダンスホールなどと並んで「まあじゃん屋」を規制の対象に加えました。このとき麻雀とともに名前を連ねていたのが「玉突場」、つまりビリヤード場であり、偶然と賭けに結びつきやすい遊びの代表として、麻雀とビリヤードは仲良く警察の監視リストに載せられたわけです。ビリヤードはその後規制の対象から外れましたが、麻雀は現在に至るまで、ずっとこのリストに名前を残し続けています。

高度経済成長期に入ると、麻雀は日本人の生活にいっそう深く溶け込んでいきます。会社の同僚と仕事帰りに一局、大学の授業をさぼって一局と、麻雀はサラリーマンと学生の必須科目のような存在になり、阿佐田哲也の小説『麻雀放浪記』が人気を集めた1970年代には第二次とも呼ばれる麻雀ブームが巻き起こって、雀荘の数は全国で3万軒を超えたともいわれています。駅前の雑居ビルを見上げれば、どの階にも「麻雀」の看板が掲げられているという光景が、日本中で見られた時代でした。

このブームの陰で定着していったのが、「テンピン」に代表される賭け麻雀の文化です。1,000点を100円に換算するテンピンは、仲間内のちょっとした小遣いのやり取り程度のものとして、社会的にはなかば黙認されてきました。法律上は明らかに賭博であるにもかかわらず、多くの人が「これくらいなら大丈夫だろう」と考えて卓を囲んできたという、この建前と本音のねじれこそが、麻雀という遊びの性格を最もよく物語っているといえるかもしれません。

検事長の辞職が突きつけたもの

その「これくらいなら大丈夫」という感覚に冷や水を浴びせたのが、2020年(令和2年)に起きた、東京高等検察庁の検事長による賭け麻雀問題でした。新型コロナウイルスの緊急事態宣言の最中に、検察ナンバー2ともいわれる立場の人物が、新聞記者らとテンピンの賭け麻雀をしていたことが報じられ、検事長は辞職に追い込まれたのです。法の番人のトップが賭け麻雀に興じていたという事実は、世間に大きな衝撃を与えました。

この騒動で改めて浮き彫りになったのは、テンピン程度の賭け麻雀であっても、法律上は紛れもなく賭博罪にあたるという、当たり前でありながら多くの人が目を背けてきた事実でした。「レートが低ければ問題ない」という俗説は、法律のどこにも根拠がなく、賭けた金額の大小は違法かどうかではなく、せいぜい処罰の重さに関わるにすぎません。この一件は、日本社会が長年なかば黙認してきた麻雀と賭けの関係に、正面から光を当てる出来事となったのです。

雀荘が風営法で規制され続けている理由も、まさにここにあります。客同士が自由に麻雀を打つ場所を提供する雀荘は、店がその気でなくても、客が勝手に賭けを始めてしまうおそれと常に隣り合わせです。そのため風営法は、雀荘に営業時間の制限や18歳未満の立入りの禁止、料金の掲示といったルールを課し、警察の目が届く状態に置いておくことで、雀荘が賭博場に変わってしまうことを防ごうとしているのです。

ちなみに、つい最近まで、賭けないことを看板に掲げる健康麻雀の教室やサロンであっても、お店として客に麻雀をさせる以上は、原則として風営法の許可が必要と考えられてきました。そのため、麻雀教室も雀荘と同じく18歳未満は立ち入ることができず、お年寄りが脳トレのために和気あいあいと牌を握る健全なサロンでさえ、法律上は「射幸心をそそるおそれのある遊技」の店として扱われ、麻雀に興味をもった子どもたちが正しく学べる場所はほとんどありませんでした。賭けるか賭けないかにかかわらず、麻雀という遊びの場を提供すること自体が規制されるというこの状況に、ついに大きな転機が訪れることになります。

子どもが麻雀を学べる時代へ

2018年(平成30年)にはプロ麻雀のチーム対抗リーグ「Mリーグ」が発足し、華やかな演出のもとで一流のプロたちが真剣勝負を繰り広げる様子がインターネットで配信されるようになり、「賭けない、飲まない、吸わない」を合言葉にした健康麻雀も、高齢者の認知症予防や仲間づくりの場として各地に広がっていきました。麻雀は、賭け事の道具から、観て楽しみ、学んで楽しむ知的な競技へと、少しずつその姿を変え始めました。

こうした流れを受けて、2026年(令和8年)7月、ついに警察庁が風営法の解釈運用基準を改め、麻雀を教える指導者の管理のもとで客に麻雀をさせる施設については、一定の条件を満たせば当面は風営法の規制対象としないことを明らかにしました。これによって、これまで雀荘と同じ扱いを受けてきた麻雀教室が風営法の枠の外に出ることになり、18歳未満の子どもたちにも、麻雀を正しく学べる教室の扉が開かれることになりました。

もっとも、どんな麻雀教室でも自由に開けるようになったわけではありません。この通達を受けて業界団体の日本麻雀スポーツ振興機構がまとめたガイドラインでは、利用者の氏名や年齢を把握すること、現金や賞品のやり取りを一切禁じること、お酒やたばこを制限すること、18歳未満の利用には保護者の同意を得ること、資格をもつ指導員を常駐させることなど、賭博の入り込む余地をとことん排除するための細かなルールが定められています。また、普通の雀荘はこれまでどおり風営法の規制を受けるため、麻雀という遊びそのものが無罪放免になったわけではなく、あくまでも「学びの場」として認められた施設に限って、法律の網が外されたと理解するのが正確でしょう。

振り返ってみれば、菊池寛が昭和の初めに夢見た「上品な社交の遊び」としての麻雀は、賭博のイメージと戦い続けた100年近い回り道を経て、ようやく現実のものになろうとしているのかもしれません。将棋教室や囲碁教室に通う子どもたちと同じように、放課後に麻雀教室へ通う子どもたちの姿が当たり前になったとき、麻雀は囲碁や将棋が何百年もかけて築いてきた芸道としての地位に、ようやく肩を並べることになるはずです。ダンス規制が見直されたように、時代が変われば法律も変わっていくのであり、麻雀をめぐる法律がこれからどこまで姿を変えていくのか、その行方に注目していきたいところです。

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